主人は第一審判決を不服として控訴。
判決から3か月半、大阪高裁の第一回期日を迎えた。
それまでには、主人方から控訴理由書というものが提出された。
なぜ控訴を訴えるのか、といった理由がかかれている。
大阪高裁に第一審判決を見直してもらうためには、
控訴理由書ではもっともなことを主張しなくてはならない。
しかも、第一審判決で討論していないような、新たな新事実や、
決定的な新証拠を提案しなければ、通常高等裁判所は真剣に考え直してはくれないという。
主人方から出た控訴理由書は、
これまでと同じ主張が繰り返されていた。
新らしい主張としては、
(なぜ養子縁組を記入して半年も掘っておいたのか、という点について)
「控訴人の兄弟がアメリカに住んでいるので、
もし、兄弟に子供ができれば、太郎と跡取り問題が生じることになる。
そのような経緯から、養子縁組を提出するかどうかを慎重に決めるため、かつ、
アメリカという国外の兄弟とのやりとりに時間がかかったため、
養子縁組を記入してから、半年以上も提出しなかった理由がつく。」
というものも加わっていた。
嘘を言う人は、しゃべるたびに新しいインフォメーションをくわえてくる。
そして結局は、つぎ足した情報に足をすくわれて嘘が露呈する。
嘘は一貫性がないので、後々どうにでも言い換えられる。
一見、理屈立っているようで、客観的に聞いていると全く意味が分からない。
めいろを行ったり来たりしているようで、ゴールが見えない。
聞いていると混乱して、煙に巻かれたようになる。
だが、煙に巻かれたままではいけない。それに飲み込まれては思うつぼである。
理解できない主張には、必ず無理や嘘が隠れている。
そもそも行為の目的や、理由が嘘なので、筋が通らないのである。
私は、控訴理由書に対して答弁書を提出した。
代理人の取り掛かりが遅いので、待てずに書き始めた。
控訴理由書を何度も何度も読み返しては矛盾を書き出す。
出来上がった答弁書を、何度も何度も修正し、
読み悪さや感情の部分をそぎ落としていく。
それは文章のダイエットのようである。
無駄なく鍛え上げ、それでも尚、人間としての魅力を残した完成形を求めて。
代理人弁護士は、ほぼ全採用という形で、
私の答弁書に一部修正を加え、大阪高裁に提出した。
控訴裁判の弁護人依頼費用に、30万円追い出したが、、
15万円くらい値切ればよかった、と胸の内にボヤク。
11時過ぎの新快速にのり、大阪駅へ向かう。
大阪高裁は初めてである。
大阪駅につくと、スマホのナビを片手に歩きだした。
スマホを回転させても、自分が上下になってもよくわからない。
大阪は歩きにくいところだ。
すぐ目の前の建物に行きたいのに、横断歩道がない。
それを探しているうちに一駅分歩いてしまった。
足が疲れ切ったころ、大阪高裁にたどり着いた。
入り口でボディチェックを受ける。
刃物は胸の中だけにもっている。
それにはセキュリティシステムは反応しないらしい。
弁護士と待ち合わせたロビーには、すでに数人が座っていた。
「しゃちょぉー、相手方、やばい人ですで。」
大阪弁の弁護士が依頼人を説得している。
私は一番後方の長椅子に座った。
しばらく待つと、代理人弁護士から電話がかかってきた。
「どこですか?」
「もう、います。今日の法廷も自分の名前も確認しました。」
私は答える。
大阪高等裁判所 12階 82法廷
天上が高く、威圧感のある建物である。
法廷へ入るまで、
私と代理人、後から来た控訴人代理人は待合室に腰かけていた。
相手方の代理人はいつになく愛想がよい。
面会交流の話がでた。
「そやけど、面会交流でも、こんな人やったら太朗くんに何いうか、するかわかりませんよ。」
私の代理人が言う。
相手方代理人が待たずに口をひらく。
「依頼人には言い聞かせているんですよ。辛抱せなあかんで。子供は見守らなあかん。」と。
「そな、もう、会わへんとか言い出すし。」「こうと決めたら譲らないひとやから。」
「でも、私が責任をもって指導しますから。」「だいぶ良くなってきたんですよ。」
相手方代理人がひとしきり話している。
私と私の代理人は、冷めた様子で顔を見合わせ肩をすくめた。
ようやく法廷へ入る。
一審判決のような緊張感ではないが、
それでも、法廷内へ入ると手と足が同時に出てしまう。
くるみ割り人形が歩き出たようで滑稽だ。
裁判官は3人。
真ん中がどうも一番のえらいさんらしい。
偉い人が、ボソボソと話し始めた。
「・・これ以上の鑑定は採用しません。」
「判決はお時間いただきますが、8月24日です。」
そしてあっけなく閉廷した。
つまりは、控訴理由にあった再鑑定の必要性を認めず、
もうこれ以上審議しないという結論である。
よかった。
120%そうでないといけないが、
心底よかった。
当たり前のことが認められて、
本当によかった。
人間を、
日本国を、
社会を、
正義を、
憲法を、
人生を、
恨まずに生きていける。
そして私は、大阪高裁を背にして歩き出す。
太朗にお寿司でも買って、
来た道と違う道を帰ろう。
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2018年5月23日 大阪高裁
2018年5月30日