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2018年5月11日(金)透明なこどもたち

第2クールの療育(わかば)が始まった。
太郎は先週からたのしみにしている様子。
朝、自分のカレンダーにわかばと書いてあるのを確認し日付を丸で囲む。
夕方には日付にバツをつける。
これが多忙な保育園児のスケジュール管理になっていた。

時間ちょうどに待合のキッズルームに着くと、既に数名の子供たちが騒いでいた。
祖母らしい年配の女性が、片付けをうながしている。
鞄を抱き抱えて少し離れたところから見ていた母親らしき若い女性も立ち上がった。
今からわかばが始まる。

今回のメンバーは、4歳の男の子3人。
そのうちの1人は、前回のグループでも一緒だった。
海くんは、お母さんの体調が優れない。
手術や通院があるため、おばあちゃんに連れられて来ていた。

今日が初めてだという一郎くんは、3月生まれで、太郎より頭一つ小さい。
保護者ルームに入るやいなや、一郎くんのママが心理士の先生と話を始めた。
洩れ聞こえる言葉言葉に、
わたしまでもが危機感を感じる。

上の子も学校が休みで
子どもとは久しぶりなんで
合わせてもらえない
警察沙汰になって

先生さえ言葉につまり、
部屋がツーンと静まりかえった。
わたしは伺うように切り出した。

お子さん、多いんですね。

被せ気味に女性が返事をした。

上の子は、主人の連れ子で、
下の2人は私が産んだ子です。
離婚して再婚して、、

去年の8月から一緒に住めてないんです。
主人が怒って、下の子に手を出して、
虐待で逮捕されたから。

私は疑問で頭がいっぱいになると同時に、
この類の答えのない答えに苦しむ
やるせなさを素早く感じ取った。

私は聞く。

なんで子どもたちはママと住めないんですか?

主人が許さないし、子ども達が祖父母と住みたいと言うから。

そうか。
子どもは母を選べないんだ。
母を選べば、父が何をするかわからない。
丸く収めるために、祖父母を選ぶしかなかったんだろう。

ここにもまた犠牲者がいた。
今日、母と会うのは久しぶりのことらしい。
一郎くんは、顔を真ん中に寄せて、作り笑いを浮かべたような表情をしている。

私にできることがあれば・・
そう言う私に、母親は
話が出来ただけで救われます
そう言った。

母子が引き離されること。
父親は、母子がいちばん苦しむことをわかっていて、制裁を加えているつもりだろう。
自分の思うようにならないと、
その理由を母子に当てつけるのだ。
制裁をしながら、
それは交渉手段にも使われる。

私と太郎を見ているようだった。
私はぎゅっとまぶたを閉じた。

始終、太郎はご機嫌で、えんぴつの練習の時は独り言に鼻歌が混じっていた。
母子の体操の時、私は一郎くんが気になって仕方なかった。
母親に目一杯甘えなさいと、私の老婆心が叫ぶのである。

終わりの会では、今の気持ちを顔のマークで表現する。
太郎は嬉しいと楽しいを選んだ。
ママとの体操が一番楽しかったと答えた。

海くんも嬉しいと楽しいを選んだ。
選び終わった後、ポツリと呟く。

パパがママを怒ったら、
ママはギザギザハート・・

私のハートがビクッと飛び上がる。
彼もそうなのか・・
やはり、そうなのか・・

2人に比べて太郎は本当に子供らしく元気だ。嬉しい。

2人が以前の太郎の姿に重なる。
・・覇気がない。
海くんは栄養失調のように細く蒼白だ。
一郎くんは同じ歳と思えない程身体が小さい。
2人とも表情がなく、感情を読みとることが難しい。
彼らの存在は透明のように静かで、冷たい。

健康な子どもは、個性の主張がある。
存在感に現れる主張ならぬ、意思の存在が感じられる。
子供の発する背景に様々な色が感じられるのである。

一方、ここにいる子供はというと、個性も意思もミュート状態である。
私には、2人の周りの空気だけが止まっているように見えた。

太郎は、感情や意思を持てるまでに
回復出来ていると思う。
太郎が弾けんばかりに笑ったり、
飛び跳ねたり、
戦いの真似事を
全身全霊でやっている姿をみると、
私まで自然と笑顔になってしまう。

人間とは喜怒哀楽な生き物である。
感情を押し殺して生きていると、
いつのまにか抜け殻になってしまう。
死んでいるかのように
生きていくことしか出来なくなるんだ。

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