いつの間にか3年経ってしまっていた。
そう、ずっと前を向いて突き進んできたのに、
なぜかふと。過去を振り返る気持ちになった。
ここからは事後の報告になる。
とはいえ、あれからもとても大きなことがたくさんあった。
人生の一面記事に来るような出来事が。
2019年6月12日に祖父が亡くなった。
わしがやらねば誰がやると、ひたすらに働き続けた偉大な祖父だった。
幼い頃に母親に捨てられた祖父は母の愛をしらない。
そんな祖父は、私や太朗にとびきり優しかった。
その理由はわからないけれど、とてつもない絆を感じるのは私だけではなかったようだ。
太朗は、祖父を三造と呼んでぬいぐるみを抱くかのように愛おしそうに頭を撫でていた。
三世代の上下関係は無茶苦茶で、それでいてとても良い。
そんな祖父が入院をし、寂しがり、悔しがり、我慢をして。
声の出ない祖父に、私は手を握り、心の声で話しかける。
「命は引き継ぎます。私と太朗に入ってください。
もう大丈夫。二人を母の愛で育てます。」と。
祖父は長い長い下り坂をゆっくりと、
ブレーキをかけることもなくただゆっくりと下りきった。
ゴールとも思えた、そう。6月12日だった。
やっと祖父は自由になれた。言葉を噛むようにご苦労様とつぶやいた。
通夜は6月13日に決まった。
太朗の誕生日である。
やはり、祖父は太朗に宿ることにしたらしい。
私は喪服が必要だった。
祖母に仕立ててもらった紋の入る漆黒の着物。
それは、あの、主人と住んでいたかつての家に残したままだ。
わたしにとって立ち入っては二度と出れぬ恐ろしい館。
心に鎖をかけ、立ち上がる勇気や体力を奪われたあの場所。
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事後報告1
2021年6月16日