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2018年3月29日 パパとの距離

調査官調査の報告書ができたという。
裁判所から電話がかかってきた。
調査報告書は、裁判所内でしか閲覧および複写が禁じられている。
受付で閲覧の申し込みを済ませ、
担当の事務員さんとコピーをとりに一階へ降りる。
角の部屋のさらに角にあるコピー機に原稿を挟む。
このコピー機は、どれほどの人の喜びと悲しみを複写してきたのだろう。
そんなことを考えながら100円玉を入れた。
コピーが終わり、足早に原稿をもって立ち去ろうとする事務員さんを呼び止める。
「すみません。あの、裁判官、4月から転勤ですよね?」
「ご挨拶だけ、ありがとうございますとだけお伝えください。お願いします。」
私は頭を下げた。
事務員さんは、本当に伝えてくれるのだろうか。
それでも私はお礼を言わずにはいられなかった。

調査官調査というものは、家庭裁判所の調査官が、
必要に応じて家庭訪問や学校訪問をして、聞き取りをはじめ調査官の感覚で調査がなされる。
太朗の場合も、事前に保育園での聞き取りがされていた。

子供に会うことはない裁判官にとっては、
調査員の報告がその後の進行や審判を決めるほどの重たい資料となる。
私は、調査官に対して用心深くなってしまう。
しかし、それを太朗に気付かれてはいけない

調査報告書には、保育園の園長から見る太朗や私の様子から始まっていた。
園長は外国人であるので、事実、私からするとダイレクトすぎてキツイ表現も多かった。

「園での生活は問題なく、療育が必要なのか疑問です。」
「太朗が母親を心配していて、レッスンに集中できていない時がありました。
 心配させるようなことが続けば、私はママを叱ります。と参観日で言いました。」
「パパは太朗にもひどいことをした?と聞くと、した、と言いました。」

キツイ表現を調査官が真に受けているとすれば、その先にある裁判官の心証が心配である。

調査官は、「2歳までの記憶はそののちの会話や経験で上書きされることが多く、
父親からひどいことをされたという記憶も、後々形成されたものであると想像する。」と述べていた。

私からすると、太郎にそのようなことを吹き込んだことは一度もない。
太朗が2歳4か月までは、主人からのハラスメントに耐え、本当に暗く、つらい家庭の中にいた。
太朗は、私が無視されたり怒鳴られたり、ののしられるのを見ていた。
離れて住むようになってからは、母である私が怯え、苦しみ、耐えて戦う姿を見て来た。
その相手が父親であることは話してないが、勘が鋭い太郎はずっとわかっていたんだろうと思う。

太朗は今でも私を心配している。
心配させまいと努力をすると余計にギクシャクしてしまう。
もう擦り切れるほど悩み尽くしたけれど、これには答えがないんだ。

事務所に遊びに来た太郎を外へ誘い出し、回覧をくばりにでかけたときのこと。

「パパのおうち、ちかいんよ。」
道路の真ん中に立たせて、私はわきにしゃがみ込む。
真すぐ前方200Mを指さして、
「あれ、あの木の塀がわかる?目の前の。あれがパパの家。」
私がおどけて説明すると、
「へー、へぇーーー。」
とオーバーなリアクションをする太朗。
「後で、近くまで見に行く?」
私が尋ねると、
「うん。」と言いつつ、私をのぞき込んで
「ママ、パパに見つかったらひどいことされるんちゃうん?」
そんなことを言う。
ママは、切なく、でも苦笑い。
「もう大丈夫。太朗がおるところではパパもそんなことせんやろ。」
「ママ強くなったし。」

「合気道しとるもんな!」
太朗の足取りが軽くなった。


これから少しずつ、太朗の父親像を作るためのヒントを与えてやろうと思う。
感情や想像を取り払って、事実としての情報をだけを一つづつ。
そう。
慌てずひとつづつ積み重ねよう。



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