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2018年3月6日(火)反射作用

連日、新幹線や電車に乗っている。
快速電車は私のゆりかごである。
新幹線の揺れは誘われないが、
快速電車にはたまらず瞼が下りる。

しかしながら、今日は安心できない。
なぜかというと、目と鼻の先にまで針先が迫ってくるからである。

キャリーケースに大きな斜め掛け鞄。
鞄の中には水筒と布のようなもの。
さらには紙袋まで抱えた、荷物過多な30代の女性は、ホームで電車を待つ時から目についていた。
まさか私の隣に座ることになるとは思っていなかった。

彼女は隣に座るやいなや、鞄から青と白色のチェック柄の布を引っ張り出して来て、針に長い糸を通した。
そしてその長い糸で裁縫を始めたものだからたまらない。
私は、彼女のひと差しごとに針をよける。
シャドーボクシングのようである。

一発が決まりそうになり、

“すみません、怖いです。”

とっさに声に出していた。

彼女は、あ、ごめんなさいと言ったものの、
続く3針目で、私の空間を縫い始めていた。

私はいつものように瞼を閉じることができず、神戸駅に着いた。



恐怖心は人から休息を奪う。
予測不能の危険に怯えながら生きるのはつらい。
私は長年そうだった。

いつも交感神経が高ぶっていて、必要以上にハイだった。
体は予期せぬ危険に備えて、常に身構える。
ハイだから仕事もできるし、人付き合いも問題ない。むしろ活発に見える。
その裏では、寝つきが悪く、夜中も何度も目が覚めた。
覚める度に、頭の中を恐怖のシナリオが廻った。
頭の中で何度となく私は殺人を犯したし、何度となく殺された。
悪夢ならいいが、覚醒したまま見る夢である。

太郎も同じだったのだろう。
私が見えなくなると泣き叫んだ。
これが永遠の別れかとばかりに。

きっと私たち親子は動物的感覚によって、見にせまる危険を感知していたんだと思う。
もう今となってはそうとしか考えられない。

私は1秒だって心が安らいだことはなかった。
瞬きをした瞬間に太郎が消えてしまうのではないか、
私と太郎の最後の別れになるのではないかという、
表現できないむなしさや、堪えきれない切なさを抱えて生活をしていたのだから。


隣の針が怖い。
体は反射的に避けた。


私も太郎も、
最終的には反射的に生きている。
危険と恐怖から逃げ出したい。
ただそれだけだった。





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