連日、新幹線や電車に乗っている。
快速電車は私のゆりかごである。
新幹線の揺れは誘われないが、
快速電車にはたまらず瞼が下りる。
しかしながら、今日は安心できない。
なぜかというと、目と鼻の先にまで針先が迫ってくるからである。
キャリーケースに大きな斜め掛け鞄。
鞄の中には水筒と布のようなもの。
さらには紙袋まで抱えた、荷物過多な30代の女性は、ホームで電車を待つ時から目についていた。
まさか私の隣に座ることになるとは思っていなかった。
彼女は隣に座るやいなや、鞄から青と白色のチェック柄の布を引っ張り出して来て、針に長い糸を通した。
そしてその長い糸で裁縫を始めたものだからたまらない。
私は、彼女のひと差しごとに針をよける。
シャドーボクシングのようである。
一発が決まりそうになり、
“すみません、怖いです。”
とっさに声に出していた。
彼女は、あ、ごめんなさいと言ったものの、
続く3針目で、私の空間を縫い始めていた。
私はいつものように瞼を閉じることができず、神戸駅に着いた。
恐怖心は人から休息を奪う。
予測不能の危険に怯えながら生きるのはつらい。
私は長年そうだった。
いつも交感神経が高ぶっていて、必要以上にハイだった。
体は予期せぬ危険に備えて、常に身構える。
ハイだから仕事もできるし、人付き合いも問題ない。むしろ活発に見える。
その裏では、寝つきが悪く、夜中も何度も目が覚めた。
覚める度に、頭の中を恐怖のシナリオが廻った。
頭の中で何度となく私は殺人を犯したし、何度となく殺された。
悪夢ならいいが、覚醒したまま見る夢である。
太郎も同じだったのだろう。
私が見えなくなると泣き叫んだ。
これが永遠の別れかとばかりに。
きっと私たち親子は動物的感覚によって、見にせまる危険を感知していたんだと思う。
もう今となってはそうとしか考えられない。
私は1秒だって心が安らいだことはなかった。
瞬きをした瞬間に太郎が消えてしまうのではないか、
私と太郎の最後の別れになるのではないかという、
表現できないむなしさや、堪えきれない切なさを抱えて生活をしていたのだから。
隣の針が怖い。
体は反射的に避けた。
私も太郎も、
最終的には反射的に生きている。
危険と恐怖から逃げ出したい。
ただそれだけだった。
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2018年3月6日(火)反射作用
2018年3月6日