家には分厚いアルバムが何冊もある。
主にはばぁばが子供たちを撮ったものである。
写真を綴り、見返すのはばぁばの楽しみの一つであり、
そこに家族が生きた証を感じるのだろう。
じぃじが所定のソファに腰かけ、パソコンを開いて古い写真を繰っていた。
そこにはちょうど2年前の写真が並ぶ。
太朗は病み上がりの子供のように、顔色が悪く、体は枝のようにか細い。
レンズを向けられて笑い顔をつくるのだが、その顔には覇気がない。
子供の元気さや無邪気さが全くなく、老人のようである。
驚くことに、母親である私も同じような顔をしていた。
生きる気力を失い、まるで亡霊のように見える。
太朗と同じく、ひどく痩せていた。
私たち親子は、つらい家庭環境に生きていた。
自分というものを押し殺し、主張せず、ただひたすら黙り、耐える。
そうすることが、主人のDVから自分を守る術だったから。
そんな生活に希望が見えるわけでもないから、同じ状況が日常化する。
そして個性や気力、命の輝きを失っていく。
ハラスメントを受け、DVを受けている人は、
自分が危機に瀕していることに気づくことができない。
相手から受ける屈辱や暴力は、気づかない程度に日々進行していく。
そして周りが異変を感じた時には、自分から逃げ出す力や気力さえ失っていて、
逃げ出すことさえ恐怖に感じる段階に入ってしまう。
恐怖のマインドコントロールである。
この世の中に、声を上げられずにいる人が何人いることだろう。
自分の様に気付かず、ひたすら耐えている人が何人いることだろう。
どうしたら助けることができるのだろう。
実際、2年半前の私に、誰かが、
「あなた、主人や主人の家族からのDVがひどいですよ。これは逃げるべきですよ。」
と説得してくれたとして、私は逃げ出せていただろうか。
いや、できなかったと思う。
悲しいことに、DVをする人、ハラスメントをする人を是正することはできない。
こればかりは、加害者側の意識(気づき・反省・改善)が必要だから。
家庭外から、苦しむ被害者を救う手はないのだろうか。
私はずっとこれについて考えて来た。
そして、現在、直接的な手助けはできないという結論に至る。
しかし、私の仕事を通して、間接的にできることもあるのではないかと思い始めた。
私の学校では、マタニティヨガやキッズヨガの先生を育成する講座がある。
私がこの講座に託す思い。
女性や子供のためのヨガという単純なものではなく、
マタニティでは、性差やホルモンの仕組み、性別による脳科学、男女のコミュニケーション、産後鬱、
キッズヨガでは、年齢別に合わせた知育遊びや、成長期に合わせた運動と心のケア、
発達障害、家族のコミュニケーションなど幅広く網羅している。
性がいかに尊く、また時には大変なものであり、
周りや家族の理解やサポートの有無によって、1人の人生が大きく変わることを伝えたい。
自分のことを主張する前に、相手を知ってみはしないか。
私が経験したこと、そして失敗から学んだことでもある。
これから先に、
パートナーを持とうとするのなら、
家族を持とうとするのなら、
子供を持とうとするのなら、
愛おしい相手のことを知ろうとすること。
相手を理解しようと、まずは努力(勉強)をしてほしいと思う。
末永く尊重しあえるように。
男性にも勉強をしてほしい。
どうしたら男性に学んでもらえるか。
マタニティやキッズという、男性には縁遠い感覚さえ否めない。
考えた結果、パートナー割引を思いついた。
これなら、女性から誘いやすいかもしれない。
一方、男性は知らず知らず受講している間に意識が変わるかもしれない。
男女問わず、大切なパートナーが、
講座を通してお互いを尊重しあえるようになれば良いなと願っている。
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