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2017年12月7日(木)何も変わらない

10時から面会交流の調停がある。
調停というのはいつも10時に始まり、12時に終わる。
30分毎に、私と主人が入れ替わり部屋に呼ばれて、
調停員という2名の賢そうな人と話をする。
調停員は「ご主人の主張はこうです。いかがですか?」
などといって、先ほど聞いた話の意見を聞き、着地点を探っていく。
着地点が見つからない間は、月一度の調停は繰り返される。
あまりに話し合いがつかない場合は、不調となり、裁判官が審判を言い渡す。

私たちに着地点は見いだせない。
だって2年以上も宙に浮いたままなんだもの。
その間ずっと同じ調停委員さん。
いつも堂々巡りで申し訳ない気持ちになってくる。

1年ほど調停をして、審判のようなものが出たことがあった。
まるで私と太朗に置かれた状況を無視した審判だった。
私は代理人弁護士と同席した日に審判がでたにも関わらず、私は後日それを知った。
代理人をつけるというのは、時に恐ろしいことが起こる。
代理人と本人、裁判所との伝達がうまくいっていないのである。
そして私が知った日は、審判から1週間がたとうとしているその日であった。
仮に審判の内容に不服であれば、一定の期日までに申し出れば、決定事項とはならない。
私はそのチャンスを逃してしまった。

去る6月25日に1年ぶりの父子面会をした時。
太朗は泣き叫び、室内から逃げ出そうと必死だった。
その次の日に、父親から調停のやり直しが申し立てられた。
「太朗がいやがっているのは、母親が言いくるめているからである。太朗の態度はまことに遺憾である。」
「母親は帰り際にボケ!と叫び、精神崩壊の状況であり、子供を監護できる状態ではない。」と。

私はどう生きていけばよいのか。
太朗はどのように生き抜いていけばよいのか。
何をしても、どんなに努力をしてもなし潰しに合う。
いつも、いつも、いつも、いつもそうなんだ。
あの人には、私と太朗の人権なんて、存在しないんだ。
まして気持なんか配慮されたことないんだ。
自分の都合の良いように、私たちを貶める作り話をするだけ。

調停の時には、こんな風にフラッシュバックに悩まされる。
調停の前後数週間は、寝付けない。
寝ていても夜中起きてしまうほど。


そして今日も、調停の待合室は異様なほど静かである。
様々な事情を抱えた人たちが目線を足元に落としている。


11月30日は、提案書の提出期日だった。
「どのような条件なら面会させられますか。」
「条件を書いて期日までに提出してください。」
いつもながら一生懸命に書いた。
パソコンに向かった時間は、20時間を優に超すだろう。

太朗が面会子拒否する理由は、私と離れることへの恐怖が大きい。
物々しい現場で、母は去っていく。
そして1年ぶりに、知らないスーツ姿の人たちに囲まれた父親が現れる。
「この後何が起こるのか?」
「自分はどうされるのか?」
そのくらいの緊迫感(緊張感)は犬にだってわかるだろう。
だから太郎は逃げようとした。
自分を守るために。

私はこの度の提案書に、「面会に母は介入しないが、同室の離れた場所に待機する。」ことを提案した。
そして私は、太朗がどんな場面であれ、パニックになったり、
自分を追い込むような考え方をしないように、療育という心のケアを始めている。
相手が相手なら、自分たちが強くたくましくなっておくしかないと思ったから。
爆弾を投げ込まれても平気なように、私と太朗の精神は鉄の鎧をまといたい。

父親はいつまでたってもかわらない。
「面会させろ。母親が同席ではなく、半日なら半日、完全に引き渡してくれ。太朗が嫌がるのは母親のせいだ。」
提案書を見た後の彼の返事は同じだった。
いやこれまで以上に代わり映えしない主張が強まった。
私は、一生懸命書いただけバカを見るんだ。

「では、あなたは何か努力をしているのでしょうか。」
「どうやったら太郎があってくれるのか?を考えはしないのですか。」

本心ではそう書きたかった。
私は太朗のため、自分のため、本心を偽る。
そして少しづつ、鎧が厚くなる。






































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