10時から面会交流の調停がある。
調停というのはいつも10時に始まり、12時に終わる。
30分毎に、私と主人が入れ替わり部屋に呼ばれて、
調停員という2名の賢そうな人と話をする。
調停員は「ご主人の主張はこうです。いかがですか?」
などといって、先ほど聞いた話の意見を聞き、着地点を探っていく。
着地点が見つからない間は、月一度の調停は繰り返される。
あまりに話し合いがつかない場合は、不調となり、裁判官が審判を言い渡す。
私たちに着地点は見いだせない。
だって2年以上も宙に浮いたままなんだもの。
その間ずっと同じ調停委員さん。
いつも堂々巡りで申し訳ない気持ちになってくる。
1年ほど調停をして、審判のようなものが出たことがあった。
まるで私と太朗に置かれた状況を無視した審判だった。
私は代理人弁護士と同席した日に審判がでたにも関わらず、私は後日それを知った。
代理人をつけるというのは、時に恐ろしいことが起こる。
代理人と本人、裁判所との伝達がうまくいっていないのである。
そして私が知った日は、審判から1週間がたとうとしているその日であった。
仮に審判の内容に不服であれば、一定の期日までに申し出れば、決定事項とはならない。
私はそのチャンスを逃してしまった。
去る6月25日に1年ぶりの父子面会をした時。
太朗は泣き叫び、室内から逃げ出そうと必死だった。
その次の日に、父親から調停のやり直しが申し立てられた。
「太朗がいやがっているのは、母親が言いくるめているからである。太朗の態度はまことに遺憾である。」
「母親は帰り際にボケ!と叫び、精神崩壊の状況であり、子供を監護できる状態ではない。」と。
私はどう生きていけばよいのか。
太朗はどのように生き抜いていけばよいのか。
何をしても、どんなに努力をしてもなし潰しに合う。
いつも、いつも、いつも、いつもそうなんだ。
あの人には、私と太朗の人権なんて、存在しないんだ。
まして気持なんか配慮されたことないんだ。
自分の都合の良いように、私たちを貶める作り話をするだけ。
調停の時には、こんな風にフラッシュバックに悩まされる。
調停の前後数週間は、寝付けない。
寝ていても夜中起きてしまうほど。
そして今日も、調停の待合室は異様なほど静かである。
様々な事情を抱えた人たちが目線を足元に落としている。
11月30日は、提案書の提出期日だった。
「どのような条件なら面会させられますか。」
「条件を書いて期日までに提出してください。」
いつもながら一生懸命に書いた。
パソコンに向かった時間は、20時間を優に超すだろう。
太朗が面会子拒否する理由は、私と離れることへの恐怖が大きい。
物々しい現場で、母は去っていく。
そして1年ぶりに、知らないスーツ姿の人たちに囲まれた父親が現れる。
「この後何が起こるのか?」
「自分はどうされるのか?」
そのくらいの緊迫感(緊張感)は犬にだってわかるだろう。
だから太郎は逃げようとした。
自分を守るために。
私はこの度の提案書に、「面会に母は介入しないが、同室の離れた場所に待機する。」ことを提案した。
そして私は、太朗がどんな場面であれ、パニックになったり、
自分を追い込むような考え方をしないように、療育という心のケアを始めている。
相手が相手なら、自分たちが強くたくましくなっておくしかないと思ったから。
爆弾を投げ込まれても平気なように、私と太朗の精神は鉄の鎧をまといたい。
父親はいつまでたってもかわらない。
「面会させろ。母親が同席ではなく、半日なら半日、完全に引き渡してくれ。太朗が嫌がるのは母親のせいだ。」
提案書を見た後の彼の返事は同じだった。
いやこれまで以上に代わり映えしない主張が強まった。
私は、一生懸命書いただけバカを見るんだ。
「では、あなたは何か努力をしているのでしょうか。」
「どうやったら太郎があってくれるのか?を考えはしないのですか。」
本心ではそう書きたかった。
私は太朗のため、自分のため、本心を偽る。
そして少しづつ、鎧が厚くなる。
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2017年12月7日(木)何も変わらない
2017年12月7日