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2017年10月21日(土) DV事件、あの日から2年

10.21記念日である。
今年は台風のせいで大泣きのお天気だけれど、2年前のあの日は秋晴れだった。
薄着で飛び出したまま、片手には携帯だけ。太郎を必死に抱えて一度も振り返らず逃げた。

2015年10月21日
太郎は風邪をこじらせて、1週間も食べずに寝込んでいた。元々細い身体は一層小さくなり、息をするたび肩が上下した。
ママはそんな太郎を見るのが怖い。病院では点滴を打ってもらった。太郎には嫌がる体力も残っていなかった。
そんな1週間を過ごし、やっと回復の兆しが見えたそんな日の朝のことだった。
私は、病みあがりの太郎を保育園にやるのをしぶっていた。主人は保育園へ行かす気満々である。
主人の機嫌を損ねないよう、私はいつも通りの太郎の身支度ルーティンをこなす。
しかしそんな間にも私は、太郎を休ませるうまい説明をどう切り出したらよいか、怒鳴られない話し方はないものかと思案していた。

私が勇気を出して”保育園、もう1日休ませようかな、、”そう切り出したとたん、主人がキレた。
怒りのボルテージが急上昇する。身体を震わせている。
すごい形相で私を睨みつけた。そして、、
“あなたは最近、弁護士に相談に行っているようですね。なんの相談ですか。”
“あなたを幼児虐待で訴えます。待っていてください。書面が届きます。正々堂々、皆の前で戦いましょう。”

何を言っているの?!私にはなんのことか理解が出来ない。
ただ、一方的に責められ、罵倒される。これはいつものことだ。
今回もきっと私の手帳や、パソコンのインターネットの検索歴や、携帯を盗み見ていたのだろう。
私は信じたいと思った。
私と太郎と主人と、この密室だからこんな無茶苦茶なことを言うんだ。
第三者がいれば主人も冷静になれるんじゃないか、と。
そして、主人の馬鹿げた言い分を録音でもして、後で聞いたら反省してくれるんじゃないかと。
私はまだこの時、最後の期待をしていた。
だから片手に携帯を持って、録画のボタンを押した。
もちろん反対の手には太郎をかかえて。

浴室に主人を追いかけてついていった。
“虐待で訴えるってどうゆうこと・・・?”
数秒時が止まった感じがした。
主人がくるりと向きを変え、私の方へまっすぐ突き進んで来る。
眉間に皺を寄せ、ギリギリと私を睨んだまま。
そしてすごい力で私と太郎はた突き飛ばされた。

この辺り数秒なのか数分なのか、記憶がぶっ飛ぶくらい怖かった。
逃げた。
“もうあかん、とうとう殺される”
動物の感が働くってこうゆうことかもしれない。
指は躊躇なく110番通報をしていた。
電話越しに指示をうける。
台所へ逃げて、玄関から庭に逃げて、まだ後ろをぴったりとついてくる主人。
私が通報していると知り、主人はリビングで”ヤッタ~!ラッキー!”と両手を上げてスキップした。
言うことやること意味がわからない。狂ってる。
この異常な姿を見て、私の恐怖が何倍にも膨れ上がった。
後ろをついてくる主人から逃げ、お隣のおばあちゃんちに駆け込んだ。
門戸がギィと金属音をたてて閉まり、私と太郎を内側に抱えこんだ。
私の緊張の糸が切れ、そこへサイレンを鳴らしてパトカーが到着した。

太郎は、ばあばに抱かれながら、私が警察署の二階へ導かれる姿を追って泣き叫んだ。
事情聴取は数時間かかったが、太郎の泣く声がずっと聞こえていて、ママは居ても立っても居られなかった。
その日のうちに警察官に立ち会ってもらって、とりあえずの着替えを引き上げた。
主人は警察官に、”私の母は玄関をまたがせるな”と言付けていたので、私とじぃじで荷物を出した。
必死だった。泣き叫びながら荷物を持って家と道路を往復した。

2年経っても私の家財道具、嫁入り道具はそのまま残されている。
いや、主人に捨てられていなければ、だが。

そう、この事件があって別居が始まった。
別居後1週間経った頃、このままではいけないと思い、生活の取り決めをしようと思った。
「これからについて、あなたの考えを聞かせてください。」という旨の手紙を自宅に持って行ったが、その時には既に玄関も車庫も鍵が取り替えられていた。
家に入れなかった。
何度も手紙を書いてはポストに入れたが返事はなかった。
仕方なく弁護士から通知をしてもらった。しかしそれさえ無視されてしまった。
沈黙ほど気持ち悪いものはなく、不安がよぎった。

2015年12月15日夕刻
16時前、保育園のお迎えに車を走らせていた。
着信あり。
弁護士の先生からだ。
保育園の駐車場に停めて電話に出た。

「養子縁組のこと、知っておられますか?」
「婚姻費用分担請求の件で、裁判所に書類を提出したら、あなたの親権がない、と言われてね、それで、確認です。」

真っ白になった。
アリの巣地獄に滑り落ちるような、、
自分自身の背中を見ながら、意識がずっと遠くに引いていくような、、

実はそこから記憶がない。
母に尋ねると、私は太郎を連れて帰り、夕食を作って食べさせ、寝かしつけてから話をしたと言う。
話を始めた途端、私は泣き崩れたと。

この後すぐ、私は、養父養母から親権に基づく未成年者引き渡し請求を提訴された。
「親権にしたがって太郎をわしらに引き渡せ」と。
このときの訴状によって私は知ることになる。
養子縁組届は、10月13日に受理されていた。
私と太郎が逃げ出したのが、養子縁組がされた8日後ということになる。
魔の8日間。
私は親権を奪われていることも知らず、私から親権を奪った主人と生活をしていたことになる。

2年経った10月21日は穏やかに過ごせている。
布団に入ってうつらうつらとした太郎に話しかける。
「太郎、ママは幸せやで。」
太郎は聞き取れない程の小さな声で、
「太郎も」
と、答えたと思う。

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