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2017年10月12日(木) 面会交流の心得

裁判所で面会交流における親としての心構え、についてDVDを見た。
調査官に呼び出されてのことだ。
きっと、主人に見せたいのだと思う。
しかし、名目上片親だけ指導するわけにもいかない。
そうゆう理由があっての呼び出しだと思う。

「親の紛争を面会交流に持ち込むな。子供が板挟みになるようなことはするな。」というような内容である。
うなずくしかない内容である。
離婚調停をする人たちを対象に作られたDVDであった。
調査官と私。小さな部屋に2人、そしてモニターが一つ。
素人感あふれる映像と、アナウンスが始まる。
私にとっては、見慣れ、聞きなれてしまった言葉が並ぶ。
離婚、紛争、親権、養育費、面会交流・・・

大人の問題が子供にどのように影響するのだろう。
どうしたら子供を守ってやれるのだろう。
毎日自分自身に問い続けてきたこと、同じ内容が繰り返される。
アナウンスが語る。私は心の中でうなづく。
「正論はわかっています。その通りでございます。」

DVDは一般的な離婚を取り扱っていた。
私たちは・・これにはあてはめられない。

「見ていただいて、どうですか?」調査官が尋ねる。
私はコメントに困りながら、、
「はい、端的にポイントが絞られていて、よくできたDVDです。
私は”親の不安や心配が子供に影響する”というところで、改めて思いました。今起きていない心配までしないでおこう、って。
現実に起こっていることだけ、対処していこうと再確認出来ました。」そう答えた。
もっと当事者感を出して答えた方が良かったのかもしれない。
DVDは「DVを受けたようなケースでなければ、一般的に面会交流は必要であると判断される。」と何度も繰り返した。

「DV=子供の生命を脅かす=不法行為=逮捕されることもある」ならば、
「養子縁組勝手に組んで子供から母親を引き離す=不法行為=逮捕されることもある」
おんなじなんじゃないの?なんで、子供への直接のDVだけが面会交流のNG案件になるの?
母親へのDVがあっても面会交流は実施される。
意味わからない。危なすぎる。本当にバカか、と思う。

私たちの問題は両親間の紛争ではない。主人たちから撃ち込まれる爆弾なのだから。
私は、太朗を抱いたままその爆弾を避けるように生活をしている。
もし、私が太朗に「爆弾は命を落とす危ないもの」と教えなければ、彼は喜んでキャッチボールをしに行くかもしれない。
何よりも、私は太朗の生命を守ならければいけない。
法律は、私の右耳に「お子さんを保護する義務があります。」とささやき、
同時に左の耳に「ご主人はお子さんに面会する権利があり、お子さんはご主人に会う権利があります。」とささやく。
私はどうしたら良いのか。どこを探しても右にも左にも矛盾する答えしかない。

私と太朗は基本的人権を得るため、人間としての第一歩目を取り戻すために戦っている。
奪ったのは、主人とその両親たち。
「私は太朗の母であり、太朗の母は私である」この権利を返してください。
それが戻って初めて、妻であり、母であり、主人であり、父親であることを確認し直しませんか。
私は調査官が困るのを予想しながら尋ねる。
「もうすこし、どろどろした、不法行為をした家族とか、、もう少し根深いパターンの、ないですか?私には参考になると思うんです。」
調査官が頭を掻きながら「そや、ね、、ほんまにね。」

面会交流は法律を考える中でも最も難しいのではないかと感じる。
調査官に聞く。「365日考えても答えは出ません。難しすぎます。いつか答えは見つかるのでしょうか?」
調査官は首をかしげて答える。「頑張っていればね、いつか解決します、よ。」
私は雲をつかんだような気持になった。

どうか、司法さん。
紛争の組み合わせは無数であることをわかってください。
時間の経過の組み合わせ、紛争の組み合わせ、そのバリエーションは予想できるものではないことを。
判例に当てはめて判断するべきものではないことを。
そして家族は、人間関係は互いの想像力の中で成り立っていること。
これが正しいということは決してないのだから。











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