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2017年9月21日(木) 面会交流の調停やり直し

面会交流調停のやり直しが申し立てられ、既に3か月が過ぎようとしている。
前回、初めての面会交流があったのが平成29年6月25日だった。

平成29年6月25日
太朗は「ママー!」と泣き叫び、汗だくになりながら弁護士の壁を押し続けていた。
出口には3~4名の弁護士が壁となって立ちはだかっており、太朗はそれを押しのけずに外へ出ることは許されなかった。
主人の主張では、息子はビニールバットを片手に父親に殴り掛かる勢いで「ペーパー偽造したやろ!」と泣きながら訴えたという。
それが本当かどうかはわからない。私は室内に入ることを許されず、離れた休憩室で待機をしていた。
主人の言い分が本当なら、主人は「ペーパー偽造」という言葉に過敏に反応したようだった。
私が待機にはいって数分後には、遊戯室から主人が飛び出して来てたのだ。
私は瞬時にこれは一大事だと悟った。
同時に太朗が悲痛な声で「ママ~~!!!」と泣き叫ぶ声がした。
全身が心臓になったように頭から足先までバクバクした。
遊戯室へ向かう廊下で主人とすれ違った。体が氷のように固まる。
それでも太朗を迎えに行くことの方が先決だった。足が止まらない。
すれ違いざまに「卑怯者が!!」と罵声を浴びせられた。

遊戯室に着くと太朗は汗でびしょびしょだった。いや、汗なのか涙なのか分からない。
私はひざまずいて抱きしめ「よう、よう、がんばったね。」そういうのが精いっぱいだった。
太朗の悲しみや不安、緊張を思うと、そうさせている大人の全員を消したいと思う。
そして子供を守ってやれない母、そう、私自身を消したいと思う。
でも母を消すと太朗は生きていけない。だから共に戦うしかない。
365日×2年=730日かけて考え続けた、今の答え。

翌日、主人から面会交流のやり直しが申し立てられた。
その書面には、「太朗の態度はまことに不審かつ遺憾である。」とあった。
さらに、「すれ違いざまに私は主人に ”あんたは最悪やボケ” と怒鳴りつけ、母親は全く正気を失っている状態。」だと書いてあった。

私と太朗は、こんなものと戦っている。
本当なら戦う力がもったいない。
これだけの努力と時間があれば、稼ぎを1000万円増やせると思う。

悲しくもこんなものから受ける被害は大きい。
時間を奪われ、自由を奪われ、こころはズタズタに切り裂かれて、毎晩悪夢を見る。


平成29年9月22日10時

面会交流の調停が再度始まった。
今回はあえて代理人を付けていない。
前回は代理人がいるにもかかわらず、不本意極まりない審判が出た。
そして、審判が下されたことさえ知らずにいた。恐ろしい。
だから今回は自分で主張する。
代理はいらない。
自分で考え、交渉し、見届け、腹をくくる。

調停は相手と自分が同席しないよう、待合室が分けてある。
30分交代で、調停員のいる部屋へ呼ばれ、自分の主張や相手の主張を聞いたり言ったりする。
私は「北待合室」だった。前回の窓のない「南待合室」より気分が良い。
ついたてを挟んで、向こう側には小学生の女の子とお母さんがいた。

「ママ~?お昼何食べる?またマクド?」
「またって、行ってへんやん。」

そしてママが調停員に呼ばれて出ていった。女の子は一人になった。

ついたてを挟んで顏は見えない。

「何年生?」 私がつぶやく。
「2年生!」
「ママも大変やなぁ。おばちゃんもここ苦手や。緊張するわ。」

女の子がついたてのはじっこからちょこっと顏を出してにこにこしている。
私が笑顔で返すとついたてを超えてこちらにやってきた。

「んなら帰ったら?」
「そやな、帰ろか!!って言いたいけど、怒られてまうわ。」

ノックの音と同時に調停員の顏がのぞいた。
良く知った、前の時と同じ調停員だ。
私の名前が呼ばれ、部屋を後にする。

相手方が言うには、「お子さんに言わせているんじゃないか。」と。
そうであれば、「あなたの言動や育児を是正して、審判通りの面会交流に戻してくれ。強いては子供を養父のことろに戻せ。」ということです。
調停員は、主人側が一方的で威圧的で困った人だということを理解していると思う。
それは前回の調停時から感じていた。
私は、「審判通りにしています。それで何か言われるのであれば、もうどうしようもないです。」と答えた。
そして用意してきた書面を手渡した。
調停員も調査官も熱心に読んでくれた。


待合室に戻る。
女の子とお母さんが話ている。
「引越することは内緒やで。来られたら困るからな。女同士の約束やで。」

私は事情を察してしまった。
大変な家族がここにもあった。胸の中が複雑になる。

「ママー、大好き。」
「ありがとう。」

どこかで聞いたやりとりだ。

家族がかけがえのないもので、取り扱いに注意を要する繊細なものであるとき、子供は愛情を確認してしまう。
普通の家庭なら、「大好き」なんて当たり前すぎて、口にすることもないし、言う方がこっぱずかしいだろう。
でもね、今にも壊れてしまう、壊されようとしている家庭には、「大好き」の一言が親子の絆なんだ。

ママと太朗もそうね。

この親子を見ていて自分たちの姿を重ねた。

女の子に声はかけられないけど「大丈夫。ママとあなたが一緒にいればどんなことも乗り越えられるよ。」と、私は心の中で念じた。

次の呼び出しの際、調停員が尋ねた。

「めいっこさん?」
「いいえ、お母さんが先にいなくなっちゃったから二人で話してました。」
「えー、えらく仲が良くて!!」

そして調停が終わり、私は車を事務所へと走らせる。
歩道を女の子とお母さんが歩いて駅まで向かう姿が見えた。
私は目線でエールを送る。









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