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2017年8月11日(金)手に負えない乳幼児

昨晩は太郎がレッスンについてきてくれた。
最近ではいとことの遊びが楽しくて、夕方のレッスンは私一人で出かけた。
太郎が産まれて、夜のレッスンは月に1度だけにしていたころ。
月一の儀式は、「時間経つのがおそろしく遅く感じた」と、ばぁばから聞いたのも最近だ。
太郎は、神経過敏な子で、ママがいなくなるといけにえにされる子供のように泣き続けた。
しまいには、暴れても泣き叫んでもママは帰ってこないのか、と自分の髪を引きちぎって悲しみを表現した。
自傷行為によるアピールだ。
それをあやしているバァバは生きた心地がしなかっただろうと思う。
とにかく、太郎はママと離れることが「死」に値するように叫んでいた。

ママは、ママのママであるバァバにしか太郎をあやすことはできないことを遺伝子的にわかっていたし、
半狂乱の太郎であってもママのママには抱っこを許していた。
それ以外の人間は、それが血のつながったパパであろうと、太郎には端からお手上げを決めていた。
大バァバは、太郎と目を合わせることを避け、火に油を注がないようにと息をひそめていたらしい。

そんなことで、私の夜のレッスンが続けられている裏には、家族の大きな協力があるということになる。
そうこうしているうちに太郎は、自ら望んでレッスンに同行するようになった。
「こんばんは。今日もよろしくお願いします。」と入り口で受付を担当する。
生徒さんたちは、「太郎ちゃん、ポイントカード押してよ。」と声をかけてくれるし、
太郎が、先生であるママの頬にチュッとして「バイバイ、頑張ってね」と言い、手を振る姿を愛おしげに見送る。
今では、太郎は看板息子なのである。

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