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H家紹介 私の家族

私は、H家の長女である。
今年、35歳になる。
いつの間にか35歳になっていた。
30歳から5年間、嵐の夜を駆け抜けてきたような感じがする。
何も見えず、ただひたすら逃げる。
そろそろ青空が見えるかしら。

「ママ、もうすぐ35歳!!」
「太朗がいなかったら、ママはただのおばさん。」
「太朗がいなかったら、ママはただの老人になるのかな。」
「太朗がいてよかった。ありがとう。」

保育園の帰りに太朗に話しかける。
面白かったのか、「もう一回!」と何度も同じセリフをせがまれた。

現在、私と太郎は、血のつながった家族と生活ができている。
とても安心できる。

私の父親は、私が幼いころ起業し、設備設計の会社を営んでいる。
事務所が自宅のそばにあるため、家族は日常的に従業員さんと顔を合わせる。
私から見る父(社長)は非常に温厚で、社員に対しても腰の低い方であると思う。
他人を前に怒っているところを見たことがない。
私のことを心配していることは確かだか、具体的には頭を突っ込んでこない。

母は、定年間際まで中学校の教師をしていた。
お堅い職業であるが、専門は美術である。
もともとアーティストであるから、考え方も芸術的だったりする。
私が起業し、仕事が忙しくなると母は、私を助けるために教師を辞めてくれた。
母の一言で何度も救われてきた。

祖母は、働く母の代わりに保育園の送り迎えや、お守をしてくれた。
今では細々と野菜を作り、私たちの食費を助けてくれている。
祖母のお守があったおかげで私は畑の野菜や花、自然界のことを人一倍勉強できた。

3つ年下の弟。
父親の仕事を継ぐため、芸大(建築家)を出て父の会社で働いている。
私が結婚をしたすぐあとに結婚して、すでに3児の父親である。
大人になって、父親になってからは頑固さが出てきたというか、めっきり会話をしなくなった。
いや、私にわだかまりがあるのだと思う。
それもこれも、私が抱える問題が原因であることは確かだ。

私以外の3名が芸大卒業という家族である。
両親は最近、私にこうつぶやくようになった。

「人を疑うことを教えなさ過ぎた。失敗したなぁ。」





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